15年前の選択。
- 悠輝 大沼
- 3月11日
- 読了時間: 3分
私は宮城県仙台市の出身で、東京の美術予備校に2年浪人してようやく多摩美術大学に合格が決まったのが2011年でした。
進学が決まり実家の両親が私のところに遊びに来ていました。
お祝いしようと父と近所のスーパーで酒や肴を買っている最中でした。
急に建物全体が揺れ出し直感的に「地震だ!」と気づきました。
急いで母が待っている私の下宿に父と共に戻り、テレビをつけた時、私達家族は事の重大さに震撼しました。
自分の故郷の大地を無慈悲に呑みこむ大津波を見て、私達家族の間に静寂が流れました。
とんでもない事になった。。。
しばらく両親を私の下宿先にいました。
計画停電があったりした中、父が私をリラックスさせようとしたのでしょう。
懐中電灯の灯の中ウイスキーを父と呑みました。
ですが、その時私には酒の味も酔いも全く感じられませんでした。
仙台に行く高速バスがようやく開通し、雪の中破損した東北高速を走りました。
夜になり仙台市内に入った時、倒壊したビルや家、灯りの少ない街並みを見た私は映画の世界に迷い込んだ様な錯覚を覚えました。
幸い私の実家は無事でしたが、家から離れた高速道路を跨ぐと津波で何も無くなってしまっていました。
電気は使えたものの、ガスと水道が完全に普及していなかったのでお風呂代わりにポッドでお湯を沸かしてタオルで身体を拭いてしのぎました。
でも、私の家はまだ恵まれている方でした。
次第に家族や近所の方、ニュースでこの地震の実態が克明になるにつれ、私はこれから自分達はどうなるのだろうかと不安と恐怖しかありませんでした。
遺体収容所近くの独特の死臭、窮地で明らかになった家族や地域の人達それぞれの本性、病院で亡くなった父方の祖父の事。
不思議ですが、自分はその時何をしていたのかあまり覚えていないのです。。
しばらくして、父を残し私と母は大学の卒業式に向かう為、何とか手に入れた東京行きの高速バスで向かいました。
東京に着いた瞬間思ったのは、やっと普通に灯りが灯って電車が走ってる場所に帰れたという想いでした。
春の陽気が無常にも近づき入学式も近づいてきた頃、私は故郷での出来事を思い出しました。
「もう絵なんか辞めよう。俺のやってる事に意味なんかなかった。」
下宿で母に送られながら私は大学の入学式に向かいました。
入学式で述べられる祝辞の言葉もその時の私には、虚しくこだまするだけでした。
式を終えて、ベンチに座っていた。その時でした。
私に声を掛けてきた大学の先輩がいました。
よれよれのTシャツにサンダル姿に最初驚きました。
それが後に、チェンソーマン、呪術廻戦等でスーパーアニメーターとして活躍する渡邊啓一郎先輩でした。
思い切って、その時の自分の想いを話したら「やる事ないならうち来てみない?」とアニメサークル映像研究部のチラシを貰いました。
家に帰ってしばらく考えた後、せっかく大学は入ったんだから何もしないよりいいか。と思い部室に行き入部しました。
そこで出会った先輩や仲間達、彼らとの出会いが私を救ってくれました。
今の私の原点です。




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